私の勤めている会社は小売業のため、時にはお客様が店内で転倒される事故が発生します。さまざまなケースがあり、雨で店内が濡れていたために滑ってしまったとか、荷物を放置していたためにつまずいてしまっただとか。このように店に管理上の責任がある場合もありますが、どう考えてもお客様の不注意により転倒されたとしか考えられない場合もあります。 「店内で転んでケガをした。どうしてくれるんだ!」 このような場合、どのような店舗状態だったのか、どのように転ばれたのか、転ばれた後の対応は、などを確認し判断を行っています。そして店の管理状況や対応に問題がなく、転ばれた原因はお客様自身にある場合は、なぜご自分で勝手に転ばれたのに、店にクレームをつけてくるのか。こんなのはお客様のわがままでしかない、と考えていました。 「あっ・・・ドスン!!」 しばらくしてから、 「従業員さん、あそこで人が倒れているよ」 「え!そうですか」 お客様が転ばれたことに気が付かない、他のお客様の接客に忙しく転ばれたお客様の所へ直ぐに駆けつけないなど、転ばれたお客様への配慮が足りなかったのではないか。誰しも転んで困っている時に手助けがあれば、感謝はすれどもお怒りになることはない。それが、誤って転んだとなればなおさら。それが、無視されたと感じた場合はどうなるか。それが店内であれば、店に反発を持たれるのは当然ではないか。 お店はお客様をお迎えした場合、常にそのお客様に対して注意を向ける必要があります。しかし、忙しかった場合など、おろそかになっているのが現実です。お客様は常に自分に対する配慮を求めており、配慮の欠如がこのようなクレームに繋がっているのではないか。事故の責任問題とは別に、この点においての配慮が足りていなかったのではないかと感じています。このような配慮や思いやりの欠如を改善していく必要性を感じています。 ちょっと話は異なりますが、最近、企業の社会的責任が問われています。これも本質的には配慮や思いやりの問題だと考えます。企業が事業活動を行うにあたり、その活動により問題を全く発生させないことは困難です。予期しない問題など、必ず起こります。それを配慮と思いやりの心を持ってあたれば、問題起こってもそれが法令違反などには問われないはずです。企業であろうが個人であろうが、社会の一員として配慮と思いやりの心を持つ必要があります。この配慮と思いやりは、社会倫理の基本であると考えます。 しかし、IT化やグローバル化などスピード化が求められる現在、他への配慮や思いやりは欠如しがちです。忙しく余裕が無いと、自分でも配慮や思いやりの無い行動をしてしまい反省をすることがしばしばです。身近な者への配慮や思いやり忘れずに、その上で他への配慮と思いやりを持って生活していく心の余裕を持ちたいと考えています。 |
column 009 配慮と思いやり 松本 光洋 23期消費生活アドバイザー |
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