声の主は年配の女性。「お忙しいところ恐れ入ります。」彼女はこう切り出した。ここは、家電メーカーの修理相談センター。修理相談センターという名称から推察できるだろうが、多くのお客様が、お手持ちの家電製品が、故障しているか、故障ではないかと思い、電話をしてくる。しかし、彼女の申出は故障ではなかった。 彼女「留守番電話なんですが・・。」私「はい、留守番電話機でございますね。」彼女「そうです。留守番電話です。」私「どうされましたか?」電話をかけてきていること、受話音に雑音もないことからすると、通信の問題ではなさそうだと予測しながら話を聞く。彼女は、恐る恐るという感じで口を開いた。彼女「あのう。」私「はい。」彼女「一度消去してしまった録音は、もうどうすることもできないですよね。」私「一度消去してしまった録音ですか?(少し間を置いて)型式は何番をご使用ですか?」留守番電話には、大きく分けると、マイクロカセットテープとIC録音の2種類があり、どちらかを特定したかったのである。彼女が使用していたのはIC録音タイプの電話機であった。 しかし、どちらのタイプの電話機であっても、一度消去した録音を復元することは不可能なのである。彼女はこう続けた。「電話機の中のコンピュータ回路でも何でも分解して構わないので、何とかならないのでしょうか?お金はいくらかかっても構いません。」即座に無理だと思ったが、念の為に技術相談グループに確認に行った。技術相談グループの答えは「そりゃ、無理だね。」あっさりしたものだった。私は、席に戻り「お待たせいたしました。技術の者にも確認しましたが、中の回路を分析しても、一度消去したものは復元できないとのことです。申し訳ありません。」と、答えた。 「そうですか。やっぱり無理ですか。」彼女の声が落胆しているのがわかった。私「はい。申し訳ございません。」彼女は「いえ。わかっていたんです。でも、大事な録音だったもので、何とかならないかと思いまして・・。確認してくださって、ありがとう。」と言いました。私は大事な録音というのが気になった。「こちらこそ、お力になれず、申し訳ありません。大事な録音だったのですか?」 私の質問に、彼女はポツリポツリと話し始めた。彼女が何とか復元したいと思っていた録音とは、彼女の一人息子からの電話だった。独立して彼女と別に住んでいた息子は、たまにしか彼女に電話をすることはなかった。ある日、彼女が出かけている時に、珍しく電話があり、留守番電話に「お袋、元気か?俺は元気でやってるよ。出かけてるみたいだから、また電話するね。」そういう他愛のない、日常的な言葉を留守番電話に伝言した。しかし、その数日後、息子さんは不慮の事故で急逝した。それから数年、一人暮らしだった彼女は、何か心配ごとがあったり、心細くなるたびに、その息子さんの伝言を聞いて、自分を励ましてきたという。 そんな大事な録音が消えてしまった・・・。彼女の気持ちを思うと、私は不覚にも泣いてしまった。私が泣いていることを知ると、彼女は「お忙しいでしょうに、年寄りのつまらない話を聞いてくださって、ありがとう。」と言ってくれた。私は自分が僭越であることを承知で「私が申し上げるのも恐縮ですが、息子さんのお声はお母様の心に刻まれています。電話機の録音は消えてしまいましたが、心の中に刻まれた息子さんの思い出やお声は消えないと思います。」そう言った。 すると、彼女は「そうですね。貴女のおっしゃる通りだわ。心の中に刻まれたから、電話機の声は消えてしまったのね。そう思うことにします。きっと、誰かにそう言ってもらいたかったのかもしれないわ。今日は勇気を出して電話して良かったわ。本当にありがとう。」そう言って電話は終了した。彼女の声は、入電の時より数倍も明るくなっていた。電話が終わると私は席を立ち、トイレに行って少し泣いた。 私は何年も電話の仕事をしている。そして、1日に何十件と応対する。その多くは、日々の業務の中で忘れていってしまう。しかし、この応対は忘れられないのである。それは、相談内容がドラマティックだったからだろうが、私が気付かないだけで、どのような相談にも計り知れないドラマがあるかもしれない。この応対は、そのことを教えてくれたと思っている。以後、私は、どのような電話も真摯に対応しなければならないと、肝に銘じている。現在、私は行政の相談員として働いているが、この忘れられない応対を教訓にして、毎日、どんな相談にも誠実に耳を傾けるようにしている。 皆さんにも忘れられない応対はありますか? |
column 034 忘れられない応対 佐藤 俊恵 第22期消費生活アドバイザー |
---|